Minkowski's tenors (1)
ミンコフスキの最新盤(?)、グルックの1774年パリ版オルフェOrphee et Eurydiceをようやく聴き出した。主役のリチャード・クロフトを聴いていて、ひとつミンコフスキ・テノール談義(不毛なテーマだ)をぶちたくなった。興味ある人は聞いてください。
近年のミンコフスキ・テノールというと、ヘンデルではリチャード・クロフト、仏ものはヤン・ブロンがおなじみ。
元々ミンコフスキにはヘンデルで入ったので、クロフトには一も二もなく感服していたんだが*1、ここのところはオッフェンバックやグルックをよく聴くもので、ブロンのテノールにまったりしておりました。
どちらもリリカルな美声の持ち主だけれど、ブロンはそれに輪をかけてリリカル。というか、尖鋭的な感じがまるでない。シャープな表現に秀でた歌手の多いミンコフスキ陣営にあってこの持ち味は貴重だ。のどかというかのほほんというか牧歌的というか…*2、くせのないすなおな声。まあそれでて適度な甘さもあるので、オッフェンバックのパリスみたいな二枚目もやったりしている。パリスよりは断然オルフェの方がはまり役だったが…。
(まっあの《美しきエレーヌ》演出は、主婦の妄想という設定なので、見るからに平々凡々たるブロン氏がパリスでも全く問題なし)。
クロフトはというと、とにかく巧いの一言に尽きる。あのノーブルな軽やかさ…*3。ミンコフスキもいってたっけ、深くて且つ重苦しくならない声、と。でもって彼の特性といえば、mollの表現だと思うんだが、どうでしょう。独特な歌いまわし(コブシ?)、「泣き」の表現があるのですね。
ヘンデルのテノールは脇役だから、女に袖にされてもただめそめそしているだけ、みたいアリアが多い(気がする)。基本的に、私は主役のテノールには無関心だが、脇役ならば興味津々である*4。だからこういう風にワキで泣かれるとグッとくるのだ。…って話がだいぶそれました。
そうそう、ふたりの共通点もうひとつが、どちらもなかなかのpp-istということだ。クロフトは《アリオダンテ》最終幕のデリンダとの二重唱、ブロンは《エレーヌ》2幕での二重唱。ただし、後者は羊の大群が登場しないCDで聴きましょう…。
まだまだつづくが続きは明日。