以下はどうしようもない感じの、日常雑記です。
昨日は、精力的にうごいているはずがその実無為にすごした日日を数え上げて落ち込みまくった。
プリニウスの『博物誌』朗読*1を聴いてひたすらぼーーーーーっとしていた。まさしく無為。
あと生で観てきてすっかり相撲にハマったSが相撲トークをくり広げるのを聞いていたりとか)

挙句の果てにひるまから酒をあおって*2、どーでもいいブゾーニの《インディアン日記》の譜読みなんか始めた。4曲目。見ひらき2頁だから一日で見てしまおうと。

そのうちに酒気がまわってきて、「教導立志基」「教導立志基」「教導立志基」ってことばが頭でワンワンしてきたから、一体なんのことだろう、としばし手を休めて考えてみたが。
これは、明治中期に刊行された浮世絵のシリーズの題名だろう。清親とか芳年あたりの絵師が参加してたはず。
やたらとこの時代らしいタイトルだけど、とにかく「教導」も「立志」も両方とも気分に合致して(「基」ってのは何だ)、立志…立志は先月15日の時点でしている…教導…教導…一体どこへ行けば相応しい教導をうけられるんだ…。とぐるぐる考えながらブゾーニ読んでた。

そしたら、立てつづけにメールと電話が入って、それが両方とも伴奏の依頼。どっちも己より格上の人たちで、経験をつませてやろうと使ってくれるのかーと思うと心底有難い気持ちでいっぱいになる。と同時に、自分のダメっぷりに、頭か布団をらかぶって終日呻いていたい。起きろー。
やるしかない、とかって言葉も自分(とくに夏場の)には意味のない羅列。自覚、あたりが短くっていいでしょう。2文字なら、この季節歩いても忘れなさそうだし。
自覚! 自覚!

*1:羅甸語+動物の鳴き声等を織りまぜたサウンドスケープ

*2:買ってきて飲ませる者がいたからだ。己は「飲む打つ買う」何れもダメ。芝居道楽だけで十分。