辰野豊選集

第4巻『忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎』(日本図書センター、2004.4。S.24の改造社版の復刻)。

著者及びタイトルの前半あたり*1で見当をつけて借りたのが当たりでした。

辰野豊の文章は、内田百輭についての短文しか読んだことがなかったけれど*2、ちょっと面白くて書き手の人柄のよさが見える、という印象はこの本を読んでも変わらず。

浜尾新、雪嶺、露伴漱石、寅彦、如是閑といった人々について辰野が語るのをつらつら読んで、眠くなったらそのまま寝るというのがここ数週間の過ごし方。おかげでさっぱり記憶が定着しません。

しかし昨夜読んだ「書狼書豚」(S.7秋)はやたらとおもしろくて、かえって目が醒めてしまった。
「書狼(ビブリオ・ルウ)」*3=自分と、「書豚(ビブリオ・コッション)」*4=親友の山田珠樹、鈴木信太郎との温度差を面白おかしく書いた一篇。やっぱり古馴染みが登場すると鮮度が上がるのは、回想録の醐醍味ですね。

以下、一篇中の山場から抜粋。辰野教授が、九州大学の成瀬正一から稀覯書『シラノ猿猴格闘録Combat de Cyrano de Bergerac avec la singe de Briochet au bout du Pont-Neuf』を贈られたところから話が始まって…

 数日後、山田、鈴木両君に会つて、此の奇書の話をすると、両君の目の色が見る見る変つて来た。僕は心の中で、奴さん達垂涎三千丈だな、とほくそ笑みながら、どうせ俺には保存欲はないのだから、欲しければ与つてもいいよ、と軽く言つて見た。二人は欲しいとも言はずに、唯うむと唸つただけであつた。その後更に数日を経てから改めて図書館に山田君を訪ねた、すると、虫が知らせたとでもいふのだらう。その席に偶然鈴木君も来てゐるのだ。僕は二人の顔を見比べてつとめて冷静を装ひながら、例の珍本を取り出して、先日話した本は実は是なんだがね、と独言のやうに言つて、この本を卓の上に抛り出した。すると、その瞬間に──全く打てば響くと言ふか、電光のやうな速さで鈴木君が、
 ──ありがたう! と呶鳴つた。
 見ると、山田君はただ飽気に取られて、
 ──早えなあ! と言つたまま、眼を白黒させてゐる。いやどうも、早いの早くないの!
 好きこそ物の速さなれで、あの時の鈴木君の先手の打ち方の素早さと言つたら。

「その後、同学の渡辺一夫、有永弘人両君の調べで該書が愈々稀覯書中の稀覯書であることが明かにされた」とのことですが、現在はどこに収まってるんでしょうね。

ときに、辰野の父は東大工科大学の教授って、あれ…辰野金吾??(それすら知らなかった)

*1:書物のジャンルとして一番好きな、回想録の典型。

*2:たしか、百輭を日本郵船に推薦したのは辰野ではなかったか知らん…?

*3:「豪華版の醐醍味を解せぬ東夷西戎南蛮北狄の如き奴」「本は読めればよし酒は飲めればよし、といつた外道」

*4:「世界に二冊しかない珍本を二冊とも買取つて一冊は焼捨ててしまはねば気がすまな」いというような書痴・書狂