追悼気分

というわけではないが、片付けをしながらヴェルディのメッサ・ダ・レクイエムを聴いた。

1曲目レクイエムでの独唱の入り、各パートの性格づけの見事さに思わずよろめく。輝かしく切り出すテノール(このドミンゴの声!)、短調へと導くバス、闇のなかで自ら光を放つソプラノ、すべてを包括するメッツォ。

ここにバリトンが欠けている理由は、パリ版《ドン・カルロス》の<ロドリーゴの死>で、この<怒りの日>Lacrymosaの旋律がつかわれているのを思えば納得がいきますな…なーんて、大嘘。でも、ヴェルディの声部のキャラクターづけはあまりに見事なので、こんな聴き方も許されるような気がしてしまう。まあ、ソリストにカルロ歌い、フィリッポ歌い、エボリ歌いがそろっているこのバレンボイム盤のせいもあるが。